※逆検とのコラボです。

こんなとき誰か隣りにいてくれたらって、


 その日、旧友の元を訪れたのは偶然だった。
日本、いや大陸の風習だったろうか、よく覚えてはいないが、一年に一度だけ離ればなれになった恋人が再会を果たす日らしい。その幸せな日に、ついでに他人の幸運も祈ってやろうという太っ腹の恋人達のおかげで、笹に願い事を書きぶら下げる風習があると聞く。

「師父。」

 友人のオフィスに着くと、その扉の前で手にした書類を眺めながらぼんやりとしている男、がいた。金色の長い髪を左に流した派手な出で立ちの若造は、こちらに気付く事もなく。ただ立ち尽くしていた。
 狼子の教えを引用するまでもなく、俺は無能な人間は嫌いだ。職務を放棄して心を彷徨わせる相手になど興味はない。
 本来なら問答無用で蹴りのひとつでも入れてやるところだが、此処は友人の職場だ。そんな非礼は避けた方はいいだろうと、声を掛ける事にした。

「邪魔だ、坊や。」

 俺にとっては、そこそこ穏便な科白だ。
だがその男は眉間に皺を寄せ、ムッとした表情でこちらを睨む。端正な顔立ちに一瞬ハッとさせられたが、何処かで見た顔だと気付く。「ガリュウ」「ガリュウ」と背後の部下達のざわめきが耳に入って合点がいった。牙琉響也、確かロックバンドを兼任してたっていう検事だ。
 そいつは険しい表情のまま、俺を睨むだけ。だから、テメェがいると通れないんだよ。

「聞こえなかったか? 俺はその部屋に用がある、どきな。」

 吐き捨ててやれば、そいつはすかした笑みを浮かべて俺に道を譲った。「ごゆっくり」と言ってくるから、此処の流儀に合わせて両手を合わせて礼を言ってやった。
 友人に顔を合わせれば、コイツも眉間に皺をよせた慇懃無礼な態度だ。窓際に飾られたトノサマンの人形すら不機嫌そうな顔に見える。高飛車な奴だか、性根が悪い奴じゃない。でなかったら、検事であるコイツと友好関係など築く気持ちにもなれないぜ。
 だが、コイツの不機嫌の理由は、さっき俺が追い返した若造のせいだった。わかった途端、奴の剣幕は俺に向く。
 急ぎの仕事だったら、さっさすりゃあいいものを…。俺は舌打ちをして、ガリュウのオフィスに脚を運んだ。
 ノックをしても、音沙汰がないんで部下を廊下に待たせて、中に踏み込む。
すると、そいつは唖然と俺を見つめるから、サングラスを外すと指先を其奴に突きつけた。
「さっきは悪かったな。」
 ギョッと表情。小綺麗な顔が台無しだ。
「そもそも、俺は検事って輩が気に喰わない。だが、仕事の邪魔をしちまったのは悪かった。」
 無表情のままで、何度か瞬きをしてから若造はゆっくりと動き出す。
「アンタ、被疑者じゃなかったのか。」
「俺は刑事さ、国際捜査官だ。」
 とんでもねぇ事を言いやがった若造に、俺は丁寧に名乗ってやった。驚愕の表情はわかった事だったが、コイツの瞳に俺は目を奪われる。余りにも見知った目だったからだ。
 よく、そう良く知っている、見間違えるはずがねぇ。あれ以来、鏡で随分と見慣れた色を浮かべた瞳。
 知り得た知識と部下達の話で知ってはいた。コイツのバンドのメンバー、相棒と呼ばれた男が私欲の為に殺人を犯した。
 それは、今日。
 似たような境遇の人間が、今日出合うのは、狼子の言うところの『縁なき事柄は無し』という奴か。
 俺は簡素に言葉を発した。

「アンタ、相棒に裏切られたんだってな。」

 息を飲む仕草。ギュッと唇を噛みしめると、しかし緩んだそこからは息だけが出た。静かな、けど先程から変わらぬ瞳が俺を見つめる。
 青い瞳は逆の目を思い出させる。彼奴の瞳は、朱色だった。俺の腹に湧く感覚は、きっと目の前の若造の中にもあるはずのものだ。
「そうだね、その通りさ。」
 ふんと俺は鼻を鳴らす。…経験上知っている、コイツは良くねぇ反応だ。
 狼子曰く…そう呟いて右手を掲げ苦笑した。また、だ。おまけに日本の格言だった気がする。
「弱い犬ほど良く吠える。…自分に自信のない立証をする奴ほど、法廷でキャンキャン喚くものさ。真実を知って尚、男は無駄口はたたかねぇ。」
 意味がわからねぇって顔をしてやがる。けど、さっきのすかした表情よりはよっぽといいぜ。
「俺も相棒に裏切られた事がある。」
 ポツンと口にした途端、瞳の奥に光が灯るのがわかった。そうそう、良い反応だぜ坊や。
「笑える話さ、其奴は最初から俺達を欺き裏切る為に側に来た。そんな事とは知らずに求めるべき獲物を共に追う仲間として、俺は彼奴を信頼した。
 最後には馬鹿な男だと、辛辣な女だぜ。」

 取り澄ました綺麗な顔で、実は笑い上戸だったのを知っていた。
 ツンと尖った唇が表情豊かだったのを覚えている。
 有能な頭脳の奥で、躊躇いを隠し持っていたの感じていた。本名は聞いたが忘れてしまった、俺の中ではいつまでも彼奴の名はひとつだ。

 どうしようもない虚しさも、誰に告げようもない憤りも心の奥深く沈めて、決して表面に浮かび上がらないように。そんな事を考えていた時期には、ぽっかりと大きな穴が空いていた気がしていた。
 無くしてしまった隙間の理由ははっきりしれねぇが、それを確かに持て余していた。

「楽になりな、抜けちまった穴はアンタが認めない限り何にも入っちゃこねえぜ。
 ただ、カラッポの穴のままだ。」
 
 若造の頬に涙が流れた理由は知れねぇ。だか、ひとつだけ知っている事がある。
その穴が空であることは、ひとりでは気付ねぇ。
 きっかけが俺の言葉だったのか、コイツ自身が前々から感じ認めたくないものだったか、そんな事はどうでもいい。綺麗に流れるそれに、あの時俺も意地だけでなく、素直であれば良かったかと思っただけだ。
 
 ゴシゴシと袖で目尻を拭き取り、若造は俺を見上げた。
 羞恥にだろう赤く染まった頬が可愛らしいなんてのは、さっきまでの表情が余りにも小憎らしかっただろうか。
「なんで、こんな風に…その…。」
「今日は他人の幸福を願う奇特な日なんだろう。つい、お節介をしたくなっただけだ。」
 遠い空の恋人の手を煩わせるのも悪いだろうしな。
 扉を開け、早く上司に案件を持って行ってやれと告げた俺に、慌てた様子で部屋を出てくる。
 廊下で待っていた部下達は統率を崩し、若造を囲んだ。「ガリュウ」「ガリュウ」と呼び、自分がファンだと口にする。面倒くさいので放っていれば、ひとりの部下がこう口にした。
「師父もベスト盤をお持ちです。解散して残念そうでした。」

 にやりと笑った若造の表情に、一度その眉を深く歪めてやりたくなったぜ
 


〜Fin



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